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5 「セックス・ボランティア」
「障害者の愛と性」
河合香織 セックス・ボランティア 新潮社 2004年6月発刊
「他の誰かになりたかった」と同様に「読書」のコーナーにアップすれば良かったのだろうけれど、障害者の著作ではなくて河合香織が、その場所に赴き、当事者に会い、考え、そうしてレポートしたものだ。ぼくの仕事柄考えていることも多くあって、書く場所をこちらに移した、すると多分書くことも変わって来るんだ。
身体や知的に障害を持つ人たちでも、当然性の要求、欲望がある。同じように、恋人を作ったり、結婚をしたいと言う願いもある。だけれど現実のなかでは、障害というハンディキャップを持つ故に、それらが実現されるのは、ごく一部の範囲においてである事は容易に想像がつくことだろうと思う。
恋人を欲しいと言うこと、結婚をしたいと言うこと、これらの思いに焦点を当てて展開するなら、思いは受け入れられやすいのかも知れない。そうしてその範疇で性が語られるのなら、波紋は少ないと思われるけれど、タイトルがセンセーショナルなものだから、世間の一般的な反応も大きかった。だからぼくも久しぶりに2ちゃんねるのスレッドを、時間を掛けて読んでみたよ。それぐらい書き込まれていたんだ。そのことも含めて書いて行くよ。
「セックス・ボランティア」が障害者や、ぼくたちのような関係者、支援者、養護学校の教師に向けて書かれるなら「障害者の自立と、性に関する諸問題」「施設・地域における障害者の性を考える」なんてタイトルになって、おそらく読者の範囲は限られるよね。つまり広範な議論は起こらないし、世間一般がそんな問題があることを、知ることも出来ない。
この本を手に取ることが、興味本位を動機とたしり、切実な課題であったりと、様々なきっかけがあって良いのだけれど、この本が読まれて、それによって立ち上るだろう思いは、さらに様々なんだろうと思う。だけれど、それが考えるきっかけとしてぼくたちのなかに残り、これから出合う様々な情報や、あるいは関係のなかで、より一層考えることが、深度を持って行くなら、この本によって知ることは大きな意味を持って行くと思うのだ。
この本で扱っているのはもっと直接的な、性の願望に関して、どう対応して行くのかと言った、リアルで切実な問題である。自力で恋人がもてたり、結婚できたりする事、それは知的にも体力的にも、障害の程度は、就労し自立することが可能なレベルにあると考えられる。彼ら、彼女たちの範囲では、健常者と同じレベルで、出会い、愛し合い、当然セックスすることが可能であるし、ここが問題なのだけれど、そうしたことに<世間的な認知>もすんなりと得られるのだろうと、思う。
何が問題なのか、おわかりだろうけれど<認知>や<許可>と言ったことが、どうして障害者の性に於いては語られなければならないのか。性は遍く個別的なことではないのか。お互いだけの密やかなものであって、第三者の介入を要さないもの、それが性ではないのか。(第三者も入ってよ、というのはまた別なバリエーションだから、それはまた別な日に考えてよ)
ここで最初に取り上げられるのは、酸素ボンベを背負った60歳代の、脳性麻痺を持つ武田さんの事例だ。施設職員にサポートされ風俗に行き、そこでは酸素ボンベを外し「命がけで」セックスをする。彼は「〜あすへの いきるみなもとになる」とインタビュアーの河合に声が出ないために、文字盤を使って書いてく。
それだけ性は大きなエネルギーを持つものなんだよね。上記は男性の例だけど、女性の場合は、出張ホストを利用する例が挙げられている。
障害者が風俗を利用する事、ここにおける問題は多岐にある。○一人で移動できず、行為にも支援が必要な場合○金銭的な問題 障害基礎年金と、異常な低賃金の給料で、生きる事のみにお金が費やされる○風俗店からの拒否 (障害者専門の風俗が全国に8店舗あるんだと、この本は教えてくれる)○売春防止法の観点から 公然と風俗利用を勧める事は問題が無いのだろうか
でもそれは既に所与の現実で、そんなことで取り締まられる者など誰もいないのだが
これらは障害者によってはクリア出来る問題でもある。ではクリアできない障害者はどうなのか、彼らにも性欲が当然あるのだから。だからそこでセックス・ボランティアの存在が出てくるんだ。主流は自慰行為の代行だけれど、なかには性交まで及ぶ事もある事例だ。ある施設では、入浴後興奮した利用者に自身の手を使って、マスターベーションを行っている例が挙げられていたけれど、これはぼくの知る範囲では、そうした事例を聞き及んだことはなく、にわかには信じられないのだけれど。
この事例は重度の知的障害者の例で、身体障害者の例と異なり、問題は更に複雑になる。身体に障害があって車椅子を使用する、脳性麻痺などの障害者も、知性はぼくたちと変わらないのだから、身体的な問題をサポートしてあげればセックスは可能だ。その場の問題は相手いるのか、ということなんだ。それらに関してセックス・ボランティアの存在が取り上げられる。オランダに於いては公的にその存在が知られていると言うことなんだ。でも実際にオランダに行って知り得たことは、SARという有償で性の介助を行うボランティア団体が存在し、活動はしているけれど、障害者がそれを利用することはあまり多くはなく、また公にも出来ない現実があったと言うことだった。それにSARでセックス・ボランティア活動する女性の多くは、母親のような年齢だというのだ。これは何となく納得できるけれどね。これも利用されない理由の一つだ。SARの利用者の一人が語る「SARのサービスは嬉しいのでしょうが、障害者に取って本当に欲しいのは恋人です」
過日ある福祉系の大学から、アンケート依頼が来た。学生の卒論のためのものであるが、その内容は施設における性の取り組みに関してだった。性教育から始まって、障害者の結婚や、施設内でのセックスは可能なのか、認めているのかというアンケートだった。9月までにと言うことで、答えて投函したけれど、今から思えば、この問題意識はセックス・ボランティアが引き金になっているのかと、感じたよ。うかつにもアンケート内容のコピーを取らなかったんだけれど、メールアドレスは分かっているので、問い合わせて後日掲載しようと思う。相手が答えてくれるかどうかは分からないけれどね。
そのアンケートの構成と、背景は障害者の性に関して肯定的な、大学内のコンセンサスによって作られているのが感じられる。あなたの施設では、恋愛関係にある二人の自由なセックスを認めていないんですか、という論調が読み取れたのだけれど。無理だよ、そんな場所無いよ、それに今あそこであの二人はセックスしてますから、立ち入らないようにって感じが、なんか異様にぼくには思えるんだ。でも障害者の側に立てば、そんな場を準備できないのは問題だ、と言うことなのだろうか。ぼく個人が否定的と言うことではなく、現在の施設の存立とその基盤が過去の遺物で、それらは考えられたことがない事なんだ。でも現在施設は契約制になって、そんなことも施設を選ぶ条件になって行くのだろうか。
知的障害者、あるいは身体障害者も含めた障害者の居住する施設での、利用者同士によるセックスの問題、もう一つはそんな相手がいない男女に関してのセックス・ボランティアの可否、これは更に施設内の介護者、支援者が行うことなのか、あるいは外部に委託するのか、委託とは言っても現実には風俗の利用の、支援と言うことなんだけれど。だけれどそこには多額のお金がかかる。そこで純粋なセックス・ボランティアの登場だ。それは支援スタッフが行うのか、勿論そんな必要はないのか、外部に風俗ではなく、そんなボランティアが存在するのか。
あるいは議論は一周するけれど、障害者にとってセックスとは、何ものか、と言うことの再考。そんなことまでしてあげる必要があるのか、と言う疑問。でも手が不自由で、あるいは無くて自慰行為すら出来ない障害者は厳然と存在するのだけれど。
長くなりそうだな、書評ではなく、この問題そのものを考えているからね。この稿続くと言うことで、ここでひとまずアップして中断します。またアップできるまで様々な意見でも読んでいて下さい。
前回のアドレス、情報がたりませんでした。以下が正しいアドレスです。
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/handicap/1092976606/
10月15日 続稿
「性に関するアンケート調査」 〈最初にあなたご自身についてお聞きします〉
問1 あなたの性別はどちらですか。
1.男 2.女
問2 あなたの年齢はいくつですか。
1.10代 2.20代 3.30代
4.40代 5.50代 6.60代以上
問3 あなたが支援者として知的障害者と関わるようになってから何年経過していますか
1.1年未満 2.1年以上3年未満 3.3年以上5年未満
4.5年以上10年未満 5.10年以上20年未満
6.20年以上30年未満 7.30年以上
問4 あなたが貴施設で支援者として知的障害者と関わるようになってから何年経過して いますか。1.1年未満 2.1年以上3年未満 3.3年以上5年未満
4.5年以上10年未満 5.10年以上20年未満
6.20年以上30年未満 7.30年以上
〈ここからは貴施設についてお聞きします〉
問5 貴施設に入所されている方の性別状況を教えてください。1.男性と女性が入所している 2.男性のみが入所している
3.女性のみが入所している
問6 貴施設内での寮やホーム等の形態を教えてください。
1.男女が共に同じ寮やホーム等で暮らしている
2.男女は別に違う寮やホーム等で暮らしている
〈ここからは知的障害者に対する性教育・性情報提供支援の必要性についてお聞きします〉
*ここでいう利用者とは、貴施設における利用者全てとし、どの項目においても男女平等にしたものとお考えください
問7 知的障害者入所更生施設において、利用者に対する性教育・性情報提供支援につい てどのように思いますか。
1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う
3.必要ではないと思う
*それは必要だと思うけど→上記の質問で「1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う」に○をつけた方は問8へお進みください。
→上記の質問で「3.必要ではないと思う」に○をつけた方は問19へお進みください。
〈ここからは具体的な性教育・性情報提供支援の内容についてお聞きします〉(1)男女の体のしくみについて
問8 利用者に対し、女性の性器の名称、しくみを伝えることについてどのように思いま すか。
1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
問9 利用者に対し、月経のしくみや意味を伝えることについてどのように思いますか。1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
問10 利用者に対し、男性の性器の名称、しくみを伝えることについてどのように思 いますか。1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
*8〜10問まで 必要なんだろうけど、個別レベルの対応だよね(2)性的行為について
問11 利用者に対し、体(性器)を清潔に保つことの意味を伝えることについてど のように思いますか。
1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
*セックスとは関係なく必要なんじゃないの問12 利用者に対し、マスターベーションの仕方を伝えることについてどのように思 いますか。
1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
問13 利用者に対し、セックスの仕方を伝えることについてどのように思いますか。
1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
*教えなくても出来るよ。ってレベルじゃないと、必要あるのかな?(3)妊娠・中絶・避妊法について
問14 利用者に対し、妊娠の意味や状態を伝えることについてどのように思いますか
1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
問15 利用者に対し、中絶の意味や状態を伝えることについてどのように思いますか
1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
問16 利用者に対し、避妊の仕方や意味を伝えることについてどのように思いますか。
1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
*総て事後にね、教えるだけだよ。そうなってからね遅ればせながら対応するんだ。
(4)性感染症・エイズについて
問17 利用者に対し、性感染症の状態や影響を伝えることについてどのように思いますか
1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
問18 利用者に対し、エイズの状態や影響を伝えることについてどのように思いますか。
1.必要だと思う 2.個別には必要だと思う 3.必要ではないと思う
*現実味がないよ。セックス・ボランティアをしていないもの。
〈ここからは貴施設における性教育・性情報提供支援の実践についてお聞きします〉
*ここでいう利用者も、問7〜問18同様に貴施設における利用者全てとし、どの項目においても男女平等にしたものとお考えください
問19 現在、貴施設で利用者に対する性教育・性情報提供支援は行われていますか。
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
*情報提供のレベル、カテゴリーがよく分からない。ネットでアダルトサイトを自由に見られるとか、格安安全 な風俗店の紹介とか、そういったもののことなの?→上記の質問で「1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている 4.個別には行っていた」に○をつけた方は問20へお進みください。
→上記の質問で「5.行っていない」に○をつけた方は問31へお進みください。
〈ここからは具体的な性教育・性情報提供支援の内容についてお聞きします〉
(1)男女の体のしくみについて
問20 利用者に対し、女性の性器の名称、しくみを伝えるという支援は行われていますか。
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
問21 利用者に対し、月経のしくみや意味を伝えるという支援は行われていますか。
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
問22 利用者に対し、男性の性器の名称、しくみを伝えるという支援は行われています か
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている4.個別には行っていた 5.行っていない
*問8〜10と何が違うの。考えと行為、支援の違いと言うことなの、同じ事だよ、必要だと思えば支援をしてい るよ。(2)性的行為について
問23 利用者に対し、体(性器)を清潔に保つことの意味を伝えるという支援は行われ ていますか。1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
問24 利用者に対し、マスターベーションの仕方を伝えるという支援は行われています か。
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
問25 利用者に対し、セックスの仕方を伝えるという支援は行われていますか。
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
*これも同じ事だね。(3)妊娠・中絶・避妊法について
問26 利用者に対し、妊娠の意味や状態を伝えるという支援は行われていますか。
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
問27 利用者に対し、中絶の意味や状態を伝えるという支援は行われていますか。
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
問28 利用者に対し、避妊の仕方や意味を伝えるという支援は行われていますか。
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
(4)性感染症・エイズについて
問29 利用者に対し、性感染症の状態や影響を伝えるという支援は行われていますか。
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
問30 利用者に対し、エイズの状態や影響を伝えるという支援は行われていますか。
1.現在行っている 2.行ったことがある 3.個別には行っている
4.個別には行っていた 5.行っていない
*(3,4は)施設のなかではリアリティーに欠ける設問なんだよね。〈貴施設における性教育・性情報提供支援の実際の質問(問19〜30)の中で、「5.行っていない」に1つでも○をつけた方全てにお聞きします〉
問31 貴施設において性教育・性情報提供支援を行っていない理由についてご意見等をご自由にお書きください。
これがぼくの施設に届いた、大学からのアンケートの全文。これそのもには思想性もないし、偏りもないし、こうして公開しても問題はないかと思う。断ってはいないけれどね。
これらのことが現在、入所型の一般的な暮らしから比べると、どれだけ解放性を持たせようとも、閉鎖的な宿命は逃れられない。集団での生活による行動の制限がどうしても生まれてしまう側面を持っている。では何故存在しているのか。個別の生活の保持のために、彼らを養育する術が無かった、と言うことが最大のことだろう。障害を持った子供達が生まれることは、個別家庭の問題ではなく、皆の問題として捉えていこう。公的なお金で、彼ら支えて行こう、と言うことが出発だったと思う。
だけれど、国家を限定してみて行くと、先進諸国と呼ばれる国家は豊かになり、日本も何とか現在はその中に位置している。衣食が足りれば、次には様々な性の要求が出現してくる。それは当然のことで、誰しもがそういう要求を目指して生きて行くことが出来れば、問題はないのだ。
それらの究極の目標が、「自己実現」と言うことだと思う。誰もが自己の願う自分自身になりたい。と言うことだ。そんな大衆的思考の成熟は、問題を広範囲にカバーして行くことが出来るようになる。障害書にとって自己実現の問題はどうなんだ、と。その問題意識の流れの第一歩がノーマライゼイションの理念だよ。
「普通の生活の中で喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり、 を特別な意識することなくに感じ、生きていく。 普通に朝起きて、普通に顔を洗って、普通に仕事に行って、 普通に車に乗って、普通に買い物をして、普通に街中を歩く。 などなど。 ノーマライゼイションどんな人でも特別な意識せず普通に日々過ごせる社会の実現のことです。ノーマライゼイションは社会的観念、思想の領域にあります。」と引用してしまうね。
ざっと読み流して、その通りだよね、と誰しもが理解できると思う。だけれどこの生活個別に降りて行くと様々な事柄があり、生活のなかの一部で、これまでは知らない振りをしてしまったけれど、自分を考えてみればすぐ分かるけれど、生きる上で最大の爆発力を持った<性>はどうなってるんだ、と当然出てくるよね。最大の爆発力を持っているけれど、無ければ無くても別にいいじゃない、と障害者に関しては位置づけていたように思う。無くても良いんだよって、自分でも妙に納得することもあるんだけど。
(この稿続きます)
-長きにわたる中断は何故だったか-
(10.28 再開 あまりに長き中断だったけど、遊んでたわけではないんだ。障害者施策を取り巻く状況が微妙に変化しつつあるんだ。
現在障害者を支える財政的基盤は、障害者個人に支給される障害基礎年金が年間約80万〜100万それに加えて在宅でデイケアや、ホームヘルプ等を利用する場合や施設入所に際して支給される支援費制度によっている。利用者は個人の負担金を払い差額を市町村から支援費という名目で支給を受ける。これは現物支給だから代理授与件によって施設に直接支払われる。平均月額20万程度かな。本人負担が多い利用者で5万円程度。これらの方式で行われている支援費制度が、計量していた以上に支出が嵩み、大きな財政負担になりつつある。そこで指向されているのが、老人福祉に関して策定された介護保険法を障害者施策にも適用して行こうと言う流れだ。これらの動きに批判はあるけれど、でも財政的基盤が最大だから、きっとそうなって行くのだろうと思うわけだ。それで福祉労働の側にとって必要な能力という観点から、新たに介護支援専門員(ケアマネージャー)の能力、つまり国家資格が必要になってくるのではないかと読むわけだ。老人福祉関係の施設在宅介護事業所には必置の資格だ。
それがそのままの形で障害者に適応はされないだろうけれど、これは取っておくべきかな、と言うことでちょと受験勉強をしていたんだ。膨大な量に圧倒されたけどね、夏頃からそんなことを思っていて何とかやれたのは2ヶ月かな。先週試験が終わったんだけどね。予防線を張ってる訳じゃなくて、このHPの更新や読書の時期からも推測できるけど、集中できず、余計なことをやっている自分を感じていたよ。
年齢、仕事、運動、酒、特にこれだ、加齢と酒によって溶けていった脳細胞を大きく感じさせられることになったね。発表はまだ先だけど、合格したら報告するね、こんなの2ヶ月で受かるよと豪語するんだ。落ちたら黙ってまた来年だよ。
そんなわけで流石に、この稿を書き続ける訳にも行かなかったのだ。)
上記のアンケートで抽出される利用者は、知的障害であっても概ね言語での理解が可能な人たちに関して言及されているのだと思われる。自発的な意志が明確な形で表出される人達と言っても良いだろうか。ぼくの思いで言うならその人達の施設での生活は、就労自立へ向けての一過性の暮らしであるべきだから、性に関して教えることはしても、援助に関しては全く必要が無いよ。それらのことは施設を出て自由な自立した暮らし得てからのことだよ。其れ以後は在宅支援関係、ガイドヘルパー等によって、風俗関係に引率して貰うことだよ。でも現実は一緒にフットベースをやっている子だけれど、よく土浦や、新宿の風俗店に出入りしているよ。安くて危なくない店のマップが彼らにはあるようで、よくぼくが聞いているよ。行きはしないけど、そうなんだと教えられることが多いんだ。その程度の能力、行動力、があればセックスは何とかなるんだよ。精神性を含めた恋愛はまた次元が違うものだから、これは既にボランティアとしての議論にはなじまないよね。近いもので言えばカウンセリングだろう。でもそこには狭義の愛は無いよね。ましてそれ故のセックスもね。
では重度の知的障害者に関しての性はどうなのだろうか。性欲はあるし、女子スタッフをさわってきたり、しがみついたりはあるんだろうけれど、それ以上では無いよ。環境として第一にそれ以上の事が起こりえないということ、本人の側から言えばそれらがセックスには結びつかないこと、自慰行為の一環で完結してしまう例が多い。また多くは全くそんな性的気配を感じさせない重度の障害者が多いと思う。それらの利用者に敢えて性的な援助をする必要も無いよ。
能力がありながら就労の機会が見いだせず、施設に長く滞留してしまう障害者も多いのだけど、問題は当然彼らで性欲もあるし、性欲があると言うだけではなく、明確にセックスがしたい思っている彼ら、彼女たちがいる。だからと言って施設ががホテルのようなサービスと完全個室にたどり着くのは遠い未来の事でそれまで我慢しろ、と言うことなのかと言うことになってしまうんだけど、現在の集団での暮らしのなかでそれを認めて行くことは勇気が要るよね。他の影響も考えるしね。だから口には出さないけど、スタッフの目を盗んで勝手にやってよ、という無責任なスタンスで対応しているって状況かな(ぼく個人はね)。ばれちゃったら皆の手前注意したり、妊娠の問題を話したりもするけどね。これを使えってコンドームを渡すのも有りかなって思うけど、奨励したようになってしまうものね。
でも書きながら思ったんだけど、例え就労できなくても、性的な放埒な関係は無理だけど、結婚という形で、好き合った同士に個室で二人で暮らして貰うというのは出来るのかなと、それがこれから目指す方向性の一つではあるのかなと、おぼろげながらイメージし始めた。クリアしなければならない多くの問題、大半がスタッフの意識だけどね、があるよ。でも沈滞したルーチンワークと言ってしまったらなんだけど、それらを導入し打ち破るのも良いかなと思ったりするよ。
ブログに書いたけどリストカットの彼女、あれから変わらずリスカや首つりしてるんだ。それによってスタッフは緊張してるんだけどぼくは危機感に裏打ちされた今の状態が良いなと思っているんだ。統合失調の彼女の幻聴「男の声で死ねと言うんだ」というのに加えて「赤ちゃんの泣き声が聞こえる」が加わった「こわ〜い」とスタッフ。歩きながら聞いたんだけど「「かつて同棲していたときに妊娠したけど三ヶ月で流産してしまった」と言うことだった。
「二人で働かなければ食べて行け無かったの、それで無理をしてしまったから」で声が聞こえると言うんだ。「耳栓買ってやるから」ぼくはと言ってるんだけど、どうも担当スタッフは実行する気がない。なんでもやってみるべきなんだよ。最近はリスカの彼女には、「聞こえても良いんだよ、だけど言うこと聞くことはないんだよ、死ねと言われても断れば良いんだ、楽しい自分の人生があるからと言ってね」何となく分かったようだよ。
でも衝動的にリストカットに走るときは彼女は一切記憶がないんだ。別なことから分かったんだけど、様子がおかしくなって、苛立ち他の利用者を歩きながら二度ばかり蹴ったことがあって、それで二人を引き離したんだけど、その日の2時間後ぐらいに、僕の所に来て「あたし蹴ってないです」と言ってきたんだ。それが真剣なんでぼくも状況をよく説明した。すると泣き始めてしまった。覚えていないことがショックだったようなのだ。そこからの類推なのだけどね、彼女は全く意識を失う瞬間があるんだ。リストカットはその空白の闇を埋めるための根拠としてあるのではないのかと、そう解釈も出来るのでは無いかと思ったのだ。傷は紛れも無く残り、自身の空白時間の自身の存在を証すものとなるのだ。それらの至根源的な要因は、胎生期の無意識の荒れ(妊娠を歓迎されなかった、当時父親は服役中であった)、出生後の疎外感、つまりは愛されずに育ってしまったこと、生育歴から明確に分かることは彼女が発病した時期は20歳頃で、母が亡くなり、父親が入院しと言うことが重なり、明確にひとりぼっちになってしまい、幼児期からの不安が現実のものとなり、一挙に臨界に達したのだと、ぼくは認識するのだ。
話題がそれてしまったけど、施設のなかにはそんな性体験を持っている女性もいると言うことなんだ。
この稿予想以上に長くなってるな。ちょっと脇道にそれすぎかな。次回ぐらいで完結させます。
セックス・ボランティア?
セックス・ボランティアに於いて主要に取り上げられているのは、身体に何らかの障害を負った人たちだ。彼らの知能は当然の事だけれど健常者変わらない。重度の知的障害者の持つ欲望が、トータルな固まりとしてのリビドーであり、それは性的な対象を限定しての欲求と言うことではなく、それ故切実さの観点から、下位に位置づけられてしまうという状況を生むのだが、それは現在の関係のなかでの状況の認識であって、本質を探って行くなら、彼らもまた同じなのだと言う結論を生んで行くことは、おそらく自明のことなのだと思うが、それらは表出されることはなく、それ故手がかりはなく、ぼくたちも好きこのんで、重い深部に降りようとは思わないのだ。意識にも、行為にも限界がある事柄なのだから。
それらの事柄と比して、軽度の知的障害者、身体障害者は、明確に異性とあるいは同性もあるんだろうけど、セックスをしたいという欲求が形成されている。その代償行為としてのマスターベーションですら、身体に障害を負った人たちのなかには、自身の手が使えなくて行えないという現状もあって、その心的に切迫した状況を身近な介護者やボランティアが感じ取り、マスターベーションを代行する事例が、いくつか挙げられていた。だがこれらは遍く任意な関係性に拠って成立する行為であって、やらなければならないと言う命令形や、思い込みが介在する余地はない。任意として放り出されてあるだけである。
それに対して、憐憫の情からの関与という認識によって行為者となるのであろうが、ぼくにはもう一点、優越の思いが介在することによって成立する行為のように思われるのだ。自身がマスターベーションを代行する行為が自身の性的欲求を喚起しない事態というのは、対象の存在する次元が全く異なったものであると認識しているが故に、行為し得るのではないのかと言う思いである。
例えとしては問題があるように思うのだが、畑正則が孤独な犬にマスターベーションを行っている様子をテレビで放映していたことがあったのだけど、どうしてもぼくの意識は身障者に対する自慰行為の代行にこの光景がオーバーラップするのだ。それは畑の愛情溢れるけれど、そこまでやるの、と言う感情を引き起こす行為だったのだけど、犬に対しての絶対者なら、それらの事は自身の倫理にも触れないし、性的欲求を喚起することもない。それと似てはいないだろうか。行為される側が問題なのではなく、行為する側の心的な位置取りをぼくは言っているのだけれど。自身の優越の思いが、自身をセックスボランティアとして定位させてはいないだろうか。
それはどうでも良いよ、だから早くやってよ、と言うことも成立するのが性ではあるのだけれど。
更には自慰に留まらない性交渉に関してなんだけれど、身障者でも、知的障害を持つ人でも魅力的な人はいて、恋人がいたり、結婚したりは枚挙に暇がない。あるいはそんな魅力からではなくても夫婦となり子どもを育てている障害者もいる。誰もがそうできるわけではない、そうしてその出来ない比率は健常者に比べて圧倒的に多いと言うこと、そこが問題なのだけれど、自慰行為の代行でも考えた問題いと同じなのだけれど、それは職業的介護や支援の範疇にはなじまないし、ボランティアによって広範に成立するものでもない。つまり誰がやるんだと言うことである。
それらから導き出されるのは月並みな結論になってしまうのだけれど、セックス産業にガイドヘルパーに連れられて、あるいは出張して貰う事によって、性的な体験をする以外に無いのではないのかと言うことになる。現実にそれらの産業は無くなることはないのだし、それらを利用することの方が、セックスボランティアを定位することよりも遙かに明るく清潔な行為に思えるのだ。
だけれど、それらは個別的で、隠れた行為であることには変わりがない。支援者がどれだけ健全で、正常な意識を持ち続け、彼らを引率し行為に及ぼさせる事が出来るのか、送り出し、あるいは迎え入れるそれらの前後の意識はどれだけ均衡を保っていられるのか、それが大きな分水嶺になるものと思われる。
施設内で結婚し、二人で暮らすことを実現して行くことの方が、遙かに多くのコンセンサスを得られるのだろうと思う。それはノーマライゼイションの理念を具現化する一つだ。だけれど毎月一回は風俗の日。引率スタッフは誰。楽しみだなあ。ただ待っているのもなんだから、ってことになって行くよな。と言ったような風俗による性的欲求の解消が、受け入れられるとは思えない。更には性と愛と言う思いに、介護者や、ボランティアとしての他者が答えることは出来ない。
ここまで書いて行くと改めてこの問題の重さに行き着くよ。障害を負った彼らにとっては切実なことだ、だけれど、出来ることと、出来ないことは明確にあると思わざるを得ない。だけれどそのぼくの思いは個別的な認識に過ぎないことは自明のことで、現実には様々なケースによって様々な対応が為されているのだろうと思う。おそらくそのどれもが正しいことで、生きる希望を生み出す起爆剤となりうるのもであり、論難されるべき事ではなく、同時にそのどれもが一種の精神の危機を孕む行為に他ならないと認識するべきである。それらのことがおそらく性の総てなのだ(種族維持という基本命題ををの除いてね)。この問題はやっと始まり議論の前提が出来たに過ぎない。多くの問題が多くの要求が葬られ隠蔽されてきた。それらがこの本によって明るいところに引き出されたのだ。
皆が考えるべき時なのだと思う。脱施設が叫ばれる現在だよ。障害を持った人たちと同じ町で暮らし助け合って行く時代の始まりなんだ。だから様々な事を学んで行かねばならないんだ。
INDEX